俺の根源は約40億年ほど前に姿を現し、今こうして「俺のひとつ」は俺として、生きている。しかも、この何十年というわずかな時間の中でさえ、それ以上の時間を超えるほどの葛藤を過ぎてきたんだと、真剣に錯覚し、この後も止むことはないだろう。と思っている。俺の意思でこの世界に誕生した自覚は既に遠く、いいや、「在った」とは覚えられないのだ。

得体の知れない法則が俺を活かしている。俺以外のものすべて、自然や動物、昆虫に至るまで、俺は活かされているのだと「聞き捨て」に思うようになって久しい。切実なことと感じ入る。

現在の「仕事」を始め出した時には、「誰の力も借りない。自分自身で切り開く」と真っ向真剣だった。しかし、歩いてみれば、まったくの正反対。自分ひとりで出来ることは、たったのひとつもない。絶対に存在していないことに気付いたのだった。
何も無いのだ。

周囲の力添えにより生かされていたのだと、心底わかるようになると、今まで、自分を中心に物事を考え、まわりの人に迷惑をかけていた自分が、なんだか、とても小さな、自分勝手な人間に思えてきた。されど哀しいかな、この迷いから解き放たれずにいる幾つかの俺の中の分身達も生きている。

「空なること」、「あっ!そ−かぁ!」とポンと手を打つ。
その一瞬、これを呉達もしくは我達と言うらしい。
親交のある生臭い和尚の名言のひとつである。

そんな講話を聞き解いては、俺は常に深く感慨に落ちるのだ。

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