ざわめく防波堤に9年
 ざわめく防波堤に9年
 ざわめく防波堤に9年
大きな変わりもないと 言えばなく
小さな変わりがあると 言えばあり
たぶん 些細なことと 含みつつむ

変化は自分に見えるものではなく
ひとから見て見えるものだろうし
ましてや 感じるやつはすくない

いつもの それに なり
いつもの ここに 来た

ただ それだけの ことに 感静

それに 尽きたら また 立ち去る

変わりないこと それを 忘れない

8月の夏



http://www.youtube.com/watch_popup?v=gSMqwfNng6k&hd=1
 帰り道、戻り道、寄り道、さもなくば道なき道へ
 帰り道、戻り道、寄り道、さもなくば道なき道へ
 帰り道、戻り道、寄り道、さもなくば道なき道へ
高岡に、

氷見に、

います、

今夜。

戻って、

きました。

きのうは

12日でした。




http://www.youtube.com/watch_popup?v=pKMH82NtBkM






 居酒屋にて酔えずに
居酒屋で隣り合わせた年のいった50代の男女の会話がわざとらしく耳についた。
彼女は「あなたが私に1万円くれたら、私の所持金はあなたときっと同じになるかも」
彼は「そう、でも、君が僕に1万円くれたら、僕の所持金は君の倍になるかもね」
さて、1万?倍で2万…….ちょっとちょっと。。。。。何の話なんだろ??ははは、1万円は他界、いや高いでしょ。冗談です。
しかし、しかし、うん?パ-クタワ-へ持ち帰った。。。さて??
酔ってる時ほど、君に会いたいことはわかったのだが。


http://jp.youtube.com/watch?v=jR5yb-vCV_s&fmt=18
偽書の理と別物は女かな
 立川から岡崎へ
 岡崎から金沢へ
 金沢から松本へ

 松本から塩山へ

 浸かるもいいし
 灯たるもいいよ

 そして、水上へ
スウィ−トホ−ム大阪 5
電車道 電車道 電車道 路電が走っていたんだ。
裏側にはこの線路、線路、線路、変わらず続いている。
大きな橋の上で俺は今も、どこへいくの
電車、線路を 見つめているよ。

初めから越えていくものなんてないんだと、知ってた
あの日の少年に、明日出会う。
電車道で

あの日
http://www.youtube.com/watch?v=UvSIkAEnBUo&;;
メドレ−
http://www.youtube.com/watch?v=Kc0O9y_mNUU&;;
スウィ−トホ−ム大阪
http://www.youtube.com/watch?v=PU6GGg1CmIw&;;
月のあかり1997
http://www.youtube.com/watch?v=3iIZj7R3JmM&;;
神の国まで
http://www.youtube.com/watch?v=25YPqjFUt7s&;;
スウイートホーム大阪  4
あたり前のように、眺めてたし、
悪びれては、ありふれたように、
見過ごしていた、通天閣だ。

ピカソから?
と、ふざけた噂を受けた事もある、あの太陽の塔がみえる。

この写真と同じようなピントで、彼が脳裏に記憶したとして仮定すれば、
通天閣がイメ−ジモデルではないかと、愚想してしまうのは俺だけだろうか?

ちなみに連想するエレキングは約3年前に出現している。
ただ、円谷プロが太陽の塔に関わっている事実は不思議と言えば不思議だ。
また、マジンガーZは約2年後の72年に登場している。

肝心なことは、俺が今写している直ぐ後ろに住居があったこと。
それだけのことだ。

ふふ、おしゃべりが過ぎたかも知れない。
スウイートホーム大阪  3
 T2で見掛けた彼女は........
 他人の空似ってことなんだろな

 足を棒にしてチェックイン
 最上階の部屋のカ−テンを開けると空にUFO???
 太陽と月の抱擁のようだ

 USJはやはり平日が良かった
スウイートホーム大阪  2
 親子と思しき二人が俺の左隣に腰掛けた。
 息子に親父は唐突に「砂の器」の主人公の生い立ちを話し出す。  
 この町のことも。
 俺はこの町を出たが、似通った境遇の事を人伝に聞かされるのは意識が 起とうというものだ。

 俺が住んでいた部屋も映画のワンシ−ンに写されていた建物も、今や現存していない。

 俺にとって人と物が変わらず残されているのがここ。
 スワロ−だ。
 俺のコテコテのしゃべくりを知るのも恵美さんだけ。

 しかし、遠視の法則は変わらずとも、時は進んでいく。

 そして、年の放れた異父姉はどうしているのだろう。
 探せの啓示は未だ降りずのまま...................

スウイートホーム大阪  1
 俺自身が写っているなんて
 わからなかったr(-●_●-)
 これで2枚目かな........
 しかし、蟻だよな?
 
 
 通りすがりの茶店にて
 風の日記帳 
 が あった 
 春の午後
 ブラジルを
 飲み 
 俺が訪れた
 記しを
 残した

十八楼

2006年9月14日 travelog
十八楼
嵐山の旅館○ん○んに泊まり、過す予定であったが、チェックインの時間のことでメ−ルと電話にてフロントと交渉している内に、担当の方の不愛想に「推して知るべし」を感じ、すべてをキャンセルしたのだった。
これを切っ掛けとして「宿」中心で探しあぐねた結果、長良川の十八楼。仕事の関係から24日の一泊とならざる得なかったものの、じゃらんnetの口コミの良さを頼りに、そして当地には心懸かることも手伝って急遽変更とした。
我ながら、変わらず短気。その京都の旅館に生涯泊まることはないだろう。

いつもながらに、西へと走るほどに元気になっていくのは不思議だ。明らかにカラダもイキイキとしていくのを感じる。向かっていることが、まるで何かに解放され、家路を急ぐ時のような躍動感でいっぱいになっている。
ふふ、実際の家路は遠距離感で飽和、遠回りして・・・だが。

十八楼に着く、古い家並みの風景がなつかしい。駐車場係員の丁寧且つ速やかな誘導で車を降りる。フロントでチェックインを済ませると支配人らしき方に案内されて最上階712号室に向かう。廊下のロケ−ションたるや外で見た家並みを連想させる。ほのかなお香のたたずまいと夕暮れ時の趣や、大変と和み落ち着くものだ。そうだ、エレベタ−内に小さなイスがあったが、お年寄りや足腰の弱い方にはありがたいだろう。半月版を損傷している俺には何となく、そう思えて、配慮を感じぜずにはいられない。ちょっとしたこと、立場・目線を変えること、なかなか考えるより実践するは容易くないものだ。

お目当ての部屋にある露天風呂は、階下に鵜飼いの船着場を見下ろし、対岸には都ホテルと国際会議場が見える。夕に夜に朝にと、お風呂につかり、信楽焼きの浴槽はゆったりと大きく、開放的な気分を満喫出来る。そうそう、大浴場の長良川温泉は有馬温泉までいかないが、茶褐色で肌になじみも良く、気持ち香りも良い。こちらにも露天があり爽快だった。感心したのは、入口のスリッパの紫外線による殺菌ボックス、ありがたい。俺は水虫ではないが、過去にボ−リングのレンタルシュ−ズや客先のスリッパから感染したことがあるからだ。それ以来、抗菌の靴下党で、この時も部屋に備え付けられている靴下を履いてのスリッパだったが、安心したのだった。お風呂の係員の男性は、あいさつはしっかりだが、寡黙に室内と風呂場の整理にとよく働く。これも感心した。目立たず、じゃませずの姿勢だ。もうひとつの浴場には入らなかったのだが、次回ということにしよう。きっと、満足するにまちがいないだろう。

夕食は「女郎花(おみなえし)」の懐石。十二の立てに三十六品目以上が並ぶ。調理場から部屋に出される数十分の間がなければ☆5つと見受けるが、現場で☆4つと生意気を申し上げておこう。ただし、「鮎の塩焼き」は絶品だ。褒めようが無いほどに素晴らしい。昔々、養老の滝での食したものとは雲泥の差だ、ほんとうはキライな部類の料理だったのだが、本物はちがうという現実を目の当たりにしたものだ。くどいが、味はもちろんのことだが、身のほぐれがすばらしく絶品である。
食事は別室の個室だったのだが、窓の外に岐阜城がそびえ立っていた。金華山の頂上にコツンと鎮座する様を見ては、難攻不落と言われたのも当然であると感じた。客室係りの女性Tさんの応対もよく、岐阜城の普請の話を聞きながら、気持ちよく酒に料理にと箸はすすんだ。
部屋に戻ってはテラスの露天風呂と夜景を繰り返し、ビ−ルを共に楽しんだのだった。

チェックアウトを済ませる前に、ラウンジでサ−ビス券でのコ−ヒ−を飲む。和モダンを基調としているのだが、俺の車とどこか相性がいい・・・とにかく、館内・部屋もそうだったが、綺麗で清潔なのだ。「知ったかぶり」をしたい俺は、文句も出ない。敢えて上げれば、部屋と部屋のテラスのフェンスが境目の壁の長さだけホコリ落としをしていないだけだろうか・・・
困った事は、これからの宿選びは十八楼が基準値になるだろうってこと。いや、困ったもんだ。このお宿、良すぎたのだ。

岐阜城に登る、はじめてなのだ。ロ−プウェイですぐかと思いきや、、、、歩く歩く登る登る、、、汗だくとなり右膝が悲鳴をあげてしまった。天守閣から岐阜をぐるっと見渡す、ホ−ムグランドの小田原城とは趣がちがうが、伊吹山方面に目を凝らす。静かな息を整え、別の方角景色を意識的に見渡しては、また戻る。ひととおり天空の風に気が紛れたところで城を下った。

昼食で場当たりに立ち寄ったのが「吉照庵」、とろざるとせいろを食べた。出される少し前に、外で事務所と連絡をとっていたのだが、「出来ましたので」「お早くお食べ下さい」との催促で店の人に呼ばれてしまった。
ふふ、悪い気がしないわけがない。こだわりOKです。近々、新装開店予定で、ここには皇太子様が立ち寄られているお写真があった。すごいお店だったのか、な。

その後、わがままも思わず車は東へ、殺伐なところへ。

千灯供養

2006年8月17日 travelog
千灯供養
ワラの馬を4つともして昨日の夕べにおくり、
今年の盆も静かに過ぎていったようだ。

盆、、、そう風の盆だった・・・・
思い出すやひらめく如く、宿の予約を入れた
しかし、それは、京都嵐山、渡月橋近くの宿
何故なんだろうと我ながらビックリしてしまう
風の盆。。。それが風の野に

天龍寺から常寂光寺、落柿舎、二尊院と通り過ぎ、
念仏寺へと向かうつもりになった
俺が歌い続けているその歌詞と重なったからかも
知れない

嵯峨野、遠く遠い昔に訪れただけ
野辺でスケッチをしていた女の子二人を思い出す
三千院近くだったように記憶する

23日〜25日の小さな旅ではあるが
行くこととした 風の野へ

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
http://72.14.235.104/search?q=cache:xaZuZbzNxdUJ:www.town.yatsuo.toyama.jp/YATSUO/REAL/index.html+%E9%A2%A8%E3%81%AE%E7%9B%86%E3%80%80%E5%8B%95%E7%94%BB%E3%80%802002&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=9のおわら風の盆2002後編を見て、次回へと想いを馳せた。1時間過ぎたぐらいからが見たいところか。その他で動画が配信されているペ−ジを一通り見て廻ったが、NHKのア−カイブスで見た映像が凄過ぎて、どれも印象が良くなかった。
トリあエズ↑これが一番いいように感じた。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
陽炎の誘いのままに
小田原に時折、出没するのはそういう訳である
多くの人の一日の始まりのように
決まったように
出掛け
戻る

360度の遠近法で眩暈をおこし
      365恕の区分求積法に混乱する

この目に映るものは眉間から後頭部へ突き抜け
抜けるか否か頭頂部へ弧を描いて垂直に刺さり
右耳で蒸気となる

カウンタ−一番右隅で焼き鳥を2本ずつ4種
2合徳利ふたつ、スタミナ漬を食べている男がいたならば
それは俺である

そういう訳だから・・・

盂蘭盆会

2005年8月14日 travelog
7月30日甲府市内に一泊、ホテル近くの居酒屋で一息ついて明朝早く高岡市に向かう事とする。しかし、安上がりなお店だった。もう、追徴は間に合わない。

7月31日高岡市内ホテルに少し早いかとも思いつつ、フロントに問い合わせてみたところOK!七夕の大看板や垂れ幕を横目に、そして、何の不思議もなく予約していたこのホテル?どうして、ここにあるのと妙な疑問??部屋に着くなり疲労感とここまで来たという安堵感のためか、夕刻まで寝て過す。
そろそろの時間と思い町へ出る。得意の地元ウォ−キングで行き当たりばったりで散策。路面電車が目の前を通り行きては過ぎ去る。わき道に入ると迷路のような路地多く、酒場横丁といった風景に多少なりとも困惑する。さすがの俺も飛び込みでガラッと戸を開けて入る気分にならない。10人で恐らくいっぱいになるだろうの店が軒並み連なっている。結局、ア−ケ−ドに戻りつ一杯のための店を探すもののコレってのがなかなか見当たらない。途中、二十代後半な感じの4人連れの親子に道を尋ねられる・・・が、「すいません、私も観光です」
結局、二度ほど目にしていた「甚九郎」に入る。時間が早いのもあってか、どうやら一番客のようだ。ここ高岡市も閑散としているが店も何となくそんな感じで、カウンタ−の俺は人気のない防波堤で釣りをする男のようにみえるから不思議。店は女将が切り盛りしている様子だが、どことなく無口なのだ。焼酎の錆色お茶割りで適当に焼き鳥を注文する。そうそう、冷奴も忘れない。そうこうする内に暗くなってきたのかお客が続きだす・・・なんとなく人が増えてきて安心というのも変だが。
しばらくして、俺の左側に夫婦の客が座った。無口な女将が待ってましたと言わんばかりに「しばらく・・・」とか声を掛けている。男のほうは何やら言い訳めいたことを返す。女房は始終口を開かない。そんなやりとりがあって、男が俺に話しかけてきた。こちらも抵抗なく話し返す。どうやら同級生もしくはほぼ同じ年らしく、あるドラマの話題と蜃気楼で盛り上がる。すると、油断したかのように女将も話しに乗ってきた。挙句は自分の娘が香港のIT長者と結婚した話と写真も見せてくれた。地元では有名らしい。
その夫婦には子供さんがいないらしい様子で、ある意味において俺は羨ましく二人をながめた。昨日からプライベ−トでは久しく雄弁になっているかの俺は、この夫婦と意気投合。一抹の淋しさもどこへやら楽しく過ごせた。二人は底のない俺と名刺交換をして店を後にした。市職員だったが、帰宅してその時のお礼葉書を送った。ありがとうございましたと。

8月1日まず予定のひとつの勝輿寺に参る。想像していたよりも境内は小さく「う」と内心つぶやくかの間に一転、来て善かったなと感じる。閑散としていて二組の老夫婦しか目に入らない。ザクッ、ザクツと本堂に歩み寄って行く。唐門をくぐると巨石が何気にあり驚く、「天から降った石」だそうだ。本堂に入るや何気に涼しい、俺はこのてに感じ入る。3万平方メ−トルの境内であると思わせないのはこの大きな造りであるからだろうか。本堂屋根下の「四隅の支える猿」を全部見て回る。向かって11時の方向は立ち入り禁止区域になっていたが、誰もいないのでこっそり見てみた。近くの「実ならずの銀杏」は昔、木登りで子供の死傷が相次いだため、当時のご住職がお経をあげたところ、翌年から実がならなくなったとのことで呼び名の所以らしい。

3年前に宿泊した氷見市へ向かう。まず、高岡本舗でうどんを購入し、ここの麺で食わせる「ひみ家」に向かう。氷見漁港前(氷見海鮮館)にあるが、昨年出来たばかりの店だった。中に入るとビジネスホテルのパンフレットがあり、それは以前宿泊した所のものだったので、店の人に聞いたところ、オ−ナ−がいっしょということだった。俺はこういう偶然がたまらない。おろし月見つけめんを美味しくいただいて、同じく宿泊した民宿「城山」に向かう。城山の目の前に拡がる海に再会するためだ。それは7〜8分走るとなつかしい風景が広がった。当時はワ−ルドカップで大騒ぎだった日で、この民宿でベッカムを複雑な思いで観戦したことを思い出した。すぐ隣の公園駐車場内に車を止め、防波ブロックに腰を下ろす。ふと、思い立ったように靴を脱ぎ、Gパンの裾をまくり、海に足を浸した。足湯よろしく足海水の面持、思い出し考え浮かぶことは今更に多いものだ。
車に戻り、当地の顔見知りの家に向かう。立ち寄ったことはないのだが、ヤフ−で調べておいた住所で行く。顔見知りと言うには馴れ馴れしくも、なかなかの山奥で距離感がぼけてしまいそうになった。思い付くのは「飲酒運転が多いだろうな」ということ。道沿いにその店舗らしき建物はあったものの住宅ではない。車を降りて脇道を登る。つまりは、3件目くらいが彼の家だった。外で何やらしている婦人がいたので「○△さんのお宅でしょうか?●●大学を卒業された○△さんのお宅ではないですか?」と尋ねたところ、お母さんだったことでわかった。確かに彼のお母さんだ、目元辺りに影さす趣がそっくりだもの。聞けば今朝、金沢に帰ったとのことで、今年5月には結婚したとのこと。ふ−ん、いいや少々びっくりなのだが。職場結婚でしあわせに暮らしているようだ。ふいに立ち寄ったことを告げて「○ちゃん」の家を後にする。お母さんが「●●からはいろいろな人が来て、家に泊まっていかれましたよ」と教えてくれたのだが、思い浮かぶことやらが既に遠い景色に思えて「機会があればお伝え下さい。観光で立ち寄っただけですからと」
来た道を戻らず、登る街道をそのままに、ホテルへナビした。

8月2日ホテルを精算して「魚津水族館」に向かい一時を過す。今日は帰路につく予定であったが、変更して一路長野市に向かう。目的は「善光寺」と上田市の「無言館」とした。急遽、携帯でホテル予約を行い向かう。結局、この日もホテルにまっすぐ飛び込み、夕刻まで寝てしまった。道々、なんとなくクリス・・・「田中・・・え〜と−何だっけ?田中、田中、田中クリスタル!ちゃう・・・」

8月3日早朝に善光寺。やはり2度目となってしまったか、と思いながら本堂へ。今回も木彫り像をこすることはせず、お賽銭だけとした。分かれた家族と来たのだが彼女は今年3月に他界している。上田に逆戻りで無言館に向かう。ちょうどお昼であったので「かぐら」という蕎麦屋で昼食、二人前でちょうどいい店である。
無言館はたまたまTV番組で見たのを思い出して立ち寄ったのだが、戦没画学生の遺品と共に作品を展示している施設である。建物はコンクリ−ト打ちっぱなしの洋館で、空調も敢えて調度していない。参観者は多くが年配者ばかりだろうと思っていたが、洒落たピアスに破けたGパンの今時の人たちも散見できた。そして、みんな、じっとまじめに見ているではないか、中にはすすり泣く女性も見受けられ、「捨てたもんじゃない」と清らかな心持にしてもらえたものだ。あん?俺は何見てるの。。。
死を覚悟し、愛する家族に愛する妻、恋人、自分がほとばしる絵画の世界との別れ・・・亡くなられた方々の叫びと生きた青春の輝き。多くの遺品にも作品にもすべてはそこにある。まさに、何事も話さないそれらは語っていた。

あてもなく出かけた今回。思えば「終戦と8月」のようになってしまった。途中途中、「ドラマ」の主人公の地である新湊を見、「少年時代」のロケ地も通り過ぎ「8月のクリマス」のロケ現場を歩くこともした。ちなみに上田市は亡くなった公子の所縁の地でもあり、再び善光寺にも連れて行けたと思えてならない。

8月9日
両親の遺骨をお寺より自宅に引き上げた。改葬許可申請してもだが、改める新しいお寺も決めていないままに、俺は思い立ったのだ。おふくろの23回忌は旧寺で済ませたものの19年の2月前にはおやじの13回忌があるので、遅くともそれまでには新しい墓を支度しなければいけない。
俺の何かが動き変わらんとしている予感でいっぱいだ。

今日は命日。祭囃子の中、おふくろは逝った。

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