封印された一流と削除の掟
「一流になれ」とあなたは甥っ子三人には告げていたらしいことは聞いている。
では、
ふふん、
俺には、
なかった。

俺にとって、今でも引き摺る「逆境」は充分に注いでもらえたことは事実であり、周囲も凍るその瞬間は誰しもが忘れ得ないことであるにちがいない。

あなたは死んで24年。俺には今でも怖い存在で在り続けている。化石ゆく愚連の残党も今や息絶え絶えの時期に差掛かり、衰えを知らぬ俺、一番の虚仮だった俺は意気揚々と栄えている。
1460日の屈辱、公共の場での五指を指す鉄拳と念入れ、明けては暮れての尖針の神経念刺し。右半面顔の歪みは未だ解けず。

しかしながら、俺はそれを得て今、在る、在る。ただ、俺が封印するだけだ。

後にわかったこと。それは、俺がその役目だということ。

恩恵は痣でもあり、その痣があって俺は在り得ている。

一流、俺には掛けられない言葉、声であったろう。

この、この、威力、暴、封印したまえ・・

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北島康介は言葉にならない。涙声でしかなかった。金メダルの重圧ではなく、“連覇”という偉業がいかに大変か、だからこそ北島は言葉を出すことができなかったのだろう。
「…すいません。…何も言えない…」
それで十分である。しつこくアナウンサーが聞く。涙をタオルでぬぐった。ひと呼吸おいて「アテネよりチョー、うれしい」と「らしく」言ったつもりが、かえって“らしくなかった”。 北島の達成感、計り知れないものを感じた。
かつて何かで読んだことがある。
「金メダルは幸運だけでは絶対に手に入らない。“意志”が必要なんです。強い意志が…」と。世界記録保持者はブレンダン・ハンセンで、アテネの1カ月前に出していたが、「ハンセンには“記録保持者というプレッシャー”が見えた」と北島はその時、話していた。王者ゆえの苦しみを感じていた。挑戦者の北島は、本来は後半50メートルでの追い込みだが、前半25メートルでハンセンに食らいつき、彼のペースを乱す。そして勝った。
北島の言う「金メダルへの明確な意志」であった。
 4年後の北京。北島はディフェンディング・チャンピオン。追われる立場である。ある意味孤独だ。かつてのハンセンがそうであったように…。しかし、アテネのハンセンではなかった。
「北島さん、半端じゃないスッよ、あの鬼のような気迫っていうか、泳ぎぶりは…。年が変わって、王者に戻った」
同じく五輪代表の100背泳ぎの森田智己が気迫に圧倒された、という。ある目撃者は「水をかいて進むのではなく、まるで水の上を滑って進んでいるかのようにスムーズだった…」と。アテネ後、北島は調子を落としていた。国内での大会でもしばしば日本選手に敗れていた。記録にはほど遠い。ところが、08年、北京イヤーになった瞬間、ギアが入ったというのである。そして、北京では他の挑戦者の泳ぎに惑わされることなく、後半追い込み型で“連覇”。これで本当の王者になりえた。
かつてプロ野球界で13年連続して本塁打王に輝いた王貞治(現ソフトバンク監督)がその“苦しさ”をこう表現した。
「“ヒットを打つ”“ホームランを打つ”という明確な意志を持った打者、その当時、ソレを感じたのはいなかったね。確かに1度でも頂点に立つというのはすごい。けど、ソレを続けるってのは生半可じゃない。常に自分に負荷をかける。オレが一番という意志、本番で出る。これを守らなきゃ…では絶対にダメ。いまのオレを越えていく、そうしなければ、自分の地位は守れない。敵を意識したら、負ける。自分の敵は、あくまでも自分しかいない…そことの戦いが、いかにコントロールできるかなんだよね」
北島の連覇に思わず、王貞治の言葉を思い出してしまった。そういえば、メジャーで日米通算3000本安打を達成したイチローも「自分はいつでもヒットを打てる。その準備をいかにできるか、だよ」。8年連続シーズン200安打も目前。この準備は、まさに北島康介も同じであろう。
北島、王、イチロー…。超一流には共通点があるものだ。
                            【産経新聞号外】北島 世界新「金」(PDFファイル)

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