いぬの談議、俺は
キャピタル東急にてお別れです、大木さん。
今夜は一本だけ、吸殻だけを残して戻りました。
笑う顔の遺影は、うそのようです。ほんと、、

お世話になりました。

俺を見出してくれたこと、

居酒屋での鬼平談議、忘れません。

だって、俺、いぬ、ですから。



遠く遠く 離れていても
君が泣いた時は 会いに行くよ

いつも同じ電車で 人波の中へ
都会(ここ)なら 夢は叶うと信じてた

遠く遠く 離れていても
君がそこにいるから 僕は行ける

次に会える時には 一歩でも前に進めてたなら
そんな自分を見せたい そんな自分で会いたい

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ありがとうヽ(*⌒∇⌒)八(⌒∇⌒*)ノねhttp://blogs.dion.ne.jp/teftef/

135ml

2006年7月18日 scribbled
135ml
長い髪を下手ながらも愛うしき気持ちで洗いすく 
                                   
湯底から照らされるブル−とイエロ−が波打つ

限られた時間に向かう前の 禊ぎの時

そして、女々しく俺は嗚咽した

きっと、二人で飲んだ

小さくかわいい缶ビ−ルほど

別れの春の夜のことだった
スキャナ−の残像
俺の場合はそうなんだよね。

見えるってのが、きつい。
別に見たくはないわけなんだけど、匂い、のように
どうしようもないでしょ。

時間は俺をもて遊ぶようだけど、コアは変わらない。

遠い俺、皆遠い、遠くなった。

ごめんよ、・・・・俺。
二十三夜に生まれて
世を更かしつつ月待ちをすると、願いが叶うという言い伝えがあるようだ。

俺が生れ落ちたのは18時30分頃らしいが、それ以前に早くもトイレで足が出てしまったようだ。
いわゆるBeckenだ。Dognightになる前の名前としても使用していた。
これは同じ隠語でも医療現場で使われるが、直訳の骨盤ではなく逆子という意味になっている。
なつかしくも、21の時よりあちらこちらでサインしていたもので、知り合いの産婦人科の看護婦さんより教えてもらったのだった。

今夜の月は月齢12.5の十三夜、9月ではないので一般的に指される月ではないが、完全体でないところが男心をくすぐるというものだ。

二十三夜月(にじゅうさにゃづき)、下つ弓張り(しもつゆみはり)/下の弓張り(しものゆみはり)/真夜中の月(まよなかのつき)/弦月(ゆみはり)恒月(ゆみはり/半月(はんげつ)、つまりは真の「下弦の月」ということであり、年に3つだけ(5月・9月・11月)数えられるようだ。

「七夕ですね」のメ−ルで月を想い出したのだった。
三度の富山へ風任せ
                             
今年は今現時点でまったくの白紙だ。でも、いつも急、思い立ったら吉日だから予定ともつかない。しかし、1日〜3日は無理だろうし、祭りのあとならず祭りの前。普段着のまちにふれてくるのもいいことかも知れない。うまい料理にうまい酒、気敏い闇へ衣をかけて、風よ雲よと過ぎる、坂のまちで、そんな夜を友づれに。

カレンダ−

2006年6月24日 scribbled
カレンダ−
波という一文字でいろいろと考えてしまう

波と言えば海・・・・海と言えば月

月と言えば・・・・・・・・・

抱きしめて

2006年6月18日 scribbled
抱きしめて
今も想い出していたの
知らないうちに あなたが
私の大事な人に なっていたの

下手な芝居で 気をひくより
愛しはじめてると 側にいて
見つめてもいいでしょ

抱きしめて 抱かれてしまえば
もとの二人には もどれない

いいの 傷つくことなんか
恐れていない はじめから
だからやさしいうそは 
つかないでね

下手な芝居のヒロインより
あなたのことだけは 
誰よりも わかっていたいの

抱きしめて 抱かれてしまえば
もとの二人には もどれない
抱きしめて 抱かれてしまえば
聞こえてくるのは シシリ−の風
海になりたくて
海側の窓を開けたら 潮風が部屋に飛び込む

ラジオがもし今 聞こえたら 日本と変わりはないけど

波と日ざしに 私はうずもれて 体の芯まで南になってる

海になりたくて それも熱い海に ずっとあなたの胸で

引き潮につられて二人 どこまでも 沖に出てゆく

帰りのことなど 忘れたい

裸でサカナになりたい

ふさわしいことば 見つかるはずもない

私とあなたと 吐息と真夜中と

海になりたくて それも熱い海に ずっとあなたの胸で

やがて あなたさえ おぼれてしまう様な

海に私なれそう

海になりたくて それも熱い海に ずっとあなたの胸で

やがて あなたさえ おぼれてしまう様な

海に私なれそう
後ろの正面は誰
夢みる快感と、それを創造し積み上げてゆくスリルの実感。張り巡らせた緊張の無数の糸。自覚する瞬間も追い着かずに。夢中とは、危うい陶酔の連続。前に進めば後ろは遠くなり、振り返れば前は更に遠離る。少なからず俺は思う。ひとつは捨てようと。そうかも知れない。。。。。
ゼンマイの切れない僕
遠い出来事も、身近な出来事も、みんな僕のまわりを立ち去らずにいる。でも、遠くの人も隣人たちもみんなどこかしらよそよそしいんだ。たくさんの人の中で暮らすことは、ちょっとだけ、気を失いかける少し前の時間の連続。一瞬一瞬の超速の思い過ごしかも知れない。どこから来てどこへ行くのか。そして、今夜も風は応えてはくれない。見ているだけが、精一杯な僕なのかも知れないとさえ思う。ゼンマイの切れない僕は後ろを振り向かず見るだろう。繰り返す眠れない夜を、気が済むまで過ごすがいい。知らぬ顔のすがすがしい朝は、そ
れでも訪れるのだ。

後悔

2006年6月9日 scribbled
後悔
「一回の人生、千回喜び、千回泣いて悔いの無いように生きたい」と、いう意味のアドレスに変更したとのメールが届いた。俺は、しばらく、その長いアドレスを見つめていた。青春は真剣に事の大小なくこだわり悩む時間の育成でもあり、また、悩みの始まりである人生の意義の門出であるように思う。短くもあり長い人生は、やはり繰り返すのだと、今さらに思う。青年時代はこれを否定するものなのだろう。

雪景色

2006年6月6日 scribbled
雪景色
何も知らない人が稀な光景を目にすれば奇異でもあり不思議と映るだろう。多くを知る人の場合にはそれはどのように捉えられるのかと言えば純然たる時のことと眺めるだろう。

有り得る有り得ないは一方の話であって最初から有り得ていることを見逃している。

まだ、賑わいは尽きない。

降らずとも積もらぬにしろ雪景色
いずれのことも旅の途中

眠れる矛盾

2006年5月24日 scribbled
眠れる矛盾
常に何かしらの変化を感じるということに
近頃では恐怖めいた気分を感じてならない。

ある読み物で剣客同士の立ち合いにて、
相手の次の動きを予見過ぎるばかりに、
うって出られずにいる場面で心理描写の
件があるのだが、それを思い出している。

迷路のように壁に手を添えて動けば必ず
出られるような安易なことではない。

こんな時は1日でも2日でも寝込むに限る。

だから、でもないが今日は20時間眠り続けた。

しかし、未だ足りない。・・・未だ足りない

女の抗弁

2006年5月19日 scribbled
女の抗弁
ずっと我慢していたのを堪え切れず、リテ−ル先の滝○さんが
奥さんにこう切り出した。

「おまえ、あの男と昨日会っていただろう」
「何のこと、あの男って」
「○田のことに決まってるだろう!」
「昨日もホテル行ってたんだろう!」
「バカ言わないでよ、行ってるわけがないじゃない!」
「嘘を言うな、あいつと関係してるのはわかってたんだからな!」
「変なこと言い出さないでよ・・・・・・・・

世間と言うより、以前から周囲では離婚が目立ってきている。
事実このご夫婦は既に離婚しているのだが、昨日、男性から改めて聞いた話の肝心な部分だった。二組の夫婦でのもめごと、つまりは一般に言うW不倫のパタンで、その後、相手の男(○田さん)の奥さんにより名実白日の下になったのだが、問題なのは「昨日」というところ。真実、その「昨日」には会ってもいないし、ホテルにも当然行っていなかったとのことであった。まさしく「1日前の事」であったらしい。

確かに問いただされたことに嘘は言っていない。滝○さんはなぜ、ここの部分にこだわったのか?解からないでもないが。

嘘は・・・・嘘は言っていない。かぁ
不細工にさよならを告げてみませんか
孤独な遺伝子の原因は俺じゃない。見も知らない遠い世界から降りてきたものだ。人に言われて心当たりがあるかどうかの微細なことで、遥か以前、親父に、ポツンと言われたことを思い出す。

同じ様な毎日の繰り返しの長い連続の中にあり、わずかなる出来事で少しずつズレが生まれる。ただし、問題でもあり、どうであろうとも、当の本人には繰り返しの意識に変わりないのだ。知らず知らずと円の中心は動き続けるものなんだろう。

毎週欠かさず見ている「人生の楽園」に子供のように胸は高まる。これからを想像するということは孤独ではないからだ。

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「心臓が15億回打つと、ゾウもネズミも私たち人間も死ぬ。一生に心臓が打つ回数はほぼ同じだそうである。
---人間の場合は40代で打ち終わるのだそうだ。
人類の長い歴史を通じて、本来の寿命はそのくらいだった。50歳以降の老いの時間は、自然界には存在しないもので医療技術などにより人為的に作られた、いうなれば“おまけの人生”」
(本川達雄著『おまけの人生』の吉田直哉による書評より)
鬼を妊んでその鬼の腹の中を刺す
つまらん奴よと、笑顔で欺く
大層なことを言うあんた、あんただよ
所詮・・・でしょ
な---んて、言わないんだけどね
丸出しで、いいのかな
や、口出しも何もする気はないけれど

俺が言えば、明日風が吹く

吹いてしまう

止められないんだ、所詮な奴よあんたさ

微風そよ風暴風雨・・・・・・

や、口出しも何も
会ったことさえないんだし

鬼を妊んでその鬼がまた、妊む

門が開くのは、所詮、あんたの場合

死んだ後でしょう、恐らくね
「いりゅう」の知らせ
目覚めると「右の耳」の奥でキリッと痛みが走った
中耳炎にも似た鈍痛と、時折のその刺すような痛み
カ−テンの向こうは明るい・・・・・・・今何時だ

「今日は○輪か・・・・」「昼過ぎに出るか」
重いカラダにプ−ルの中の頭でふと思い付く

頭を叩いてみるとポン、プォン、と音がする

どのくらいも経っていないだろう
カ−テンの向こうで・・・・・・

(雷雲が立ち籠み)雷鳴と共に土砂降りとなった

「止めた」

誰かが俺を止めていると思ったのだ

そして、午後は晴天なり

時は今をさして将に来る流れに向かう

2日目の今日もポン、プォン

水のあるところへ、、、そうだ、河口湖へ
そう、、俺の耳は囁いている
外は晴天なりて時は注さず

云わぬが仏

2006年3月12日 scribbled
云わぬが仏
当らぬも八卦当るも八卦、と言う。
偶然とは確立、確立とは統計、統計とは経験に研究、
それに研ぎ澄まされた洞察と観察、そして苦悩から
逃れんと喘ぐ宿命を持った者達の思念が織成す世界。

云う事すべてが、後日現実となれば
       それはそれを越えてしまうのだろう。

宿命に運命に使命・・・考えたくも無いことなのに、

見える見えぬは、、、云わぬがいい。

だから、閉じたと言っても

わからないか。

夢の巌棲

2006年3月2日 scribbled
夢の巌棲
ここ数日において、久しくドリエルを服用する。

起動しているに苦痛は感じない俺であるものの、
このカラダがうめき出したのには幾分かの戸惑い、
ふふ、戸惑いミッドナイト♬ってところか。。。。

動かずの次第であったためか、首のあたりが痛い。

それにしても、カラダにカラダ、爽快なりて愉快。

さわやかに、・・・今夜も眠りたく

夢の巌棲に走り込む。
思い付きの頬杖と大量生産たち
ご主人が25歳で奥様が24歳、もうすぐ1歳になろうとする女の子に同居するご両親の5人暮らし。お父様は還暦とか。24歳の彼女は上田市から嫁いで来ているとのことで、数時間の接見での印象はしっかりさんだ。大量生産されているそれらとは一線を隔していると言える。25歳の彼は割烹料理店で調理師、3000円代のお弁当を任される段階の途上ではあるけれど、自分の店を持つ目標に向かっている。
その女の子は、私を見るや「泣いた」、既にそんな時期なのか?

しかし、この二人にして、それぞれのご両親の誕生日が言えない。
落胆めくのは、今更のことなのだが・・・このことで理解してしまう多くはある。

それがどうだってこともない。大したことではないのだろうから

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